『今話題の「働き方改革」の形を、
マッチアップではすでに理想の形として導入していました。』
- ノー残業
- 在宅勤務
- 育児休暇の取得
対策
・スタッフはすべて正社員
・所定労働時間を8時間→7時間へ変更
・在宅勤務可能な体制づくり
(ノートPCへ切替などのインフラ整備、在宅時のセキュリティ対策など)
・クラウドサービスの標準化
結果
・生産性向上
・残業はほぼ無しを実現
・年間休日は125日以上
・有給休暇も完全消化
- 在宅勤務の実施
- モチベーションUP
- 決められた時間
の中で作業完了を目指す - 労働時間の最小化
この状況が実現できました!
どうやって今の仕事の形になったか?
当社のこれまでの軌跡をご覧いただき、少しでもヒントになればと思います。是非ご覧ください。
1.創業期(1999年~2004年)
創業し、およそ1年で業界未経験ですが、有資格者という5名のスタッフが揃います。
狩猟型モデル「やれることは何でも」のスタンスで、全国を回って仕事をこなしていきます。
しかし、あるトラブルをきっかけに、経営は途端に窮地へ。
スタッフ全員に退職してもらう事態に発展しました。
事務所に残ったのは、私だけとなりました。
2.雌伏期(2005年~2009年)
この経験から、「やれることは何でも」のスタンスから「できることは限られている」のスタンスへ。
しかし、整理解雇を行ったことで、業界内の評判も悪く、郊外へ移転なども相まって、「採用ができない!」という事態が続きます。
そこで、パートタイマーの主婦、インターンシップへと移っていきます。
パートタイマーのスタッフの頑張りと、開業予定者のインターンシップで良い出会いがあり、そのスタッフを核にスタッフが歩留まりをはじめ、売上も安定してきました。
同じころ良い出会いが続きます。
「スーパーパートタイマー」と呼べるスタッフとの出会いや、後の中核になるスタッフとも出会います。
3.再興期( 2010年~ 2014年)
農耕型、ストックモデルを目指します。
やみくもな受注ではなく、提供できるサービスも絞ります。
また、IT化の波が社労士ビジネスにも本格的に訪れました。
そのため、情報システムに強い人材が必要になりましたが、2009年のリーマンショックの影響で、本来、難しいはずの採用も、100人を超える応募があるなど良い出会いは続きます。
優秀なスタッフを採用できたと同時に、その各人の能力に頼る仕事が増えていきます。
そんな中、当社で初めての「育児休暇」がありました。
そこで、引継ぎの難しさ、担当者の「人」「能力」を基準にした仕事問題が噴出します。
4.変革期(2015年~2019年)
育児休暇を取得するスタッフが相次いで、産前産後休業→育児休業→時短勤務のサイクルが 複数社内に発生していきました。
このような状況では既存のフルタイムのスタッフの負担が増えていきます。
また、この時期に頼りになるスタッフも結婚で遠方に嫁ぐということで退職が決まります。
ここで、改めて実感したのが、スタッフは「いつかは辞める」ということです。
さらにこのスタッフは優秀なだけに仕事を引き継ぐ後任のスタッフにはどうしても対応できない事態が起こります。ここで、サービスを平準化することの大事さを改めて痛感します。
オーバースペックの仕事はある意味ドル箱ですが、「スタッフの幸福感」を念頭に置き、仕事を選別していきます。
その意味でもサービスの平準化に動き出します。
ここで、「在宅勤務」の導入です。
『子供がインフルエンザになったら働けない』との大合唱があり、私も新しいことが好きなので即OKを出しました。アッという間に仕組みが組み上がって導入となりました。得手に帆かけて、とはよく言ったもので、興味関心と実利が結びつくとプロジェクトは超伝導です。
導入して分かったことは、在宅勤務は万能薬ではないし副作用もあると言うことです。
在宅勤務には向く仕事と向かない仕事があってコツが分からないと生産性が低下することも少なくありません。
当社の場合は、在宅勤務に積極的な少数と消極的な多数に分かれました。出社しないことで自分の仕事に集中できる反面、不在をフォローすることになる出勤しているスタッフには疑問符が浮かぶ事態にもなりました。
仕組み作りにはシステムだけでなく気持ちの部分が大切です。
5.現在から未来へー世界を魅了する職場をつくるー
ここまでの取り組みで、所定労働時間を8時間から7時間にして1時間短縮し、残業はほとんどありません。年間休日は125日以上、有給休暇も完全消化状態です。
時短に加え、同一労働同一賃金の導入で当社からは正社員、パートタイマーの区分はなくなりました。
パソコンもデスクトップに代えノートパソコン+液晶モニターの構成にし、在宅時のセキュリティ対策も施し全員が在宅勤務可能な体制を作りました。
やっと基盤が整備された、と思っています。
これからは、スタッフと家族、お客様、協力会社、地域社会など繋がる皆様から「いいね!」と言われる、一歩進んで引き付ける、ご愛顧いただける会社にしたいと思います。
そのためには、クラウドサービスによる標準化、RPAによる省力化など新しい技術に挑戦するとともに、人の成長や気持ちに寄り添う取り組みをしていきます。
当社の社是「ともに幸せになるしあわせ」を感じる職場には、やってみよう!ありがとう!なんとかなる!あなたらしく!があふれ、「世界を魅了する職場」なると思います。
社是 『ともに幸せになるしあわせ』
- ① やってみよう! 成長と自己実現
- ② ありがとう! 繋がりと感謝
- ③ なんとかなる! 前向きと楽観
- ④ あなたらしく! 多様性と相互承認
- があふれる社会をつくる
会社の略歴
年月日 | 出来事 |
---|---|
1998/1/1 | 社会保険労務士資格登録 |
1999/9/30 | 山武産業システム株式会社(現・株式会社アズビル)総務部人事グループを退職 |
1999/10/1 | 福岡県福岡市博多区東比恵にて松田修社会保険労務士事務所を開設 税理士事務所を母体とするコンサルティング・グループのメンバーとして、人事労務コンサル ティングに特化した事務所としてスタートする。 |
2000/4/1 | 三菱電機ビジネスシステムの社会保険労務システムを導入し手続業務、給与計算の受託を開始する。 |
2002/2/1 | 事務所を福岡県福岡市博多区東光に移転する。 |
2004/7/1 | コンサルティング・グループを脱退し、事務所を福岡県福岡市東区多の津1-14-1FRCビル (現在地)に移転、高速道路に近い立地を活かし北部九州に対象エリアを拡大する。 |
2005/10/1 | 日本MBTI協会認定ユーザー |
2007/4/1 | 社会保険労務システムをエムケイシステムの社労夢に変更すると共に手続業務、給与計算をメイン業務に据えビジネスを再設計する。 |
2008/4/1 | 株式会社カップルハート(シーエイチシー)を設立し、コンサルティング部門を分離。 |
2009/9/30 | 十周年感謝の会を開催、鈴木啓之牧師『何事も益に変えられる』の講演など130社に参加いただく。 |
2013/4/1 | 松田修行政書士事務所を設立 |
2014/12/1 | 良知経営を志向する社会保険労務士集団、一般社団法人楡の木フォーラムに参加 |
2015/1/1 | 大久保秀夫塾第1期生として『在り方経営』を学び、公益資本主義推進協議会(PICC)に参画する。 |
2017/9/18 | プライバシーマークの認証を受ける。18840031号 |
2016/2/2 | 社会保険労務士法人マッチアップに改組 |
2016/6/17 | 経営革新等認定支援機関の認証を受ける。 |
2017/8/31 | マッチアップ行政書士事務所に名称を変更 |
チームビルディング | |
2017/5/1 | MFクラウド・プラチナメンバー |
2018/9/26 | 職場の基礎代謝(R)改善ファシリテーター |
2019/4/1 | Freee認定アドバイザー |
2019/6/1 | 陽明学講座『福博えびす大学』開講 |
株式会社シーエイチシーの社命を株式会社マッチアップに変更しクラウド導入支援サービスを開始。 |